飛行機とフェリーで恐山へ⑤ 地獄と極楽が混在する恐山へ
むつ市街から山中を走ること30分、恐山に到着です。
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地獄と極楽が共存する恐山
恐山は山全体が霊場になっており、いわゆる人々がイメージする「恐山」は山中にある「恐山菩提寺」というお寺です。
周囲には硫黄の臭いが立ち込めており、活火山であることを察すると同時に、えもいえぬあの世感が漂っています。
菩提寺の入り口には三途の川がかけられています。
ここから先はあの世です。一足先に死んだ後の世界を下見します。
威圧感のある仏像。
一つ一つがめちゃくちゃ大きい。近所の寺とはスケールが違います。
山門。
当時の僕は何を思ったのか写真を加工していました。
今振り返るとなんと余計なことをと思わずにいられません。
恐山 地獄編
境内にはガレ場のようなだだっ広い空間に遊歩道が整備されています。
菩提寺内は地獄を模した参拝道があり、1時間弱で様々な地獄を見て回る作りになっています。
参拝道の入り口あたりにある賽の河原。
なんで地獄で石積むんだろうと思っていましたが、これは親より先に死んだ子供が親不孝を詫びるために積み上げるのだそうです。
ということは大往生した人は積まなくていいのか?というか親不孝を詫びるために石積むってなんだ?
さらに、作業をしていると鬼がどこからともなくやってきて、せっかく積み上げた石を崩してしまうそうです。
そして再び積み、崩される…永遠に繰り返します。
親としては我が子がそんな非生産的な労働に従事させられるのはたまったもんじゃないので、現世でススキを輪っか状に結び、鬼を転ばせ、妨害を阻止するらしいです。
そんなことしたら鬼の怒りを買って余計ひどい目に遭わされるのでは…そもそも現世で結んだススキがあの世に転送されるってどういうシステムなんでしょうか。
気になりだすとキリがないので参拝道を進みます。
歩いていると、参道のあちこちに風車が見られます。
見渡す限りの自然の中にビビッドな色合いが指し、風が吹くたびにカラカラと音を立てて回る様がこの世ならざる雰囲気を醸し出しています。
なぜ地獄に風車があるのかというと、早世した我が子を不憫に思った親が、地獄でも遊べるおもちゃとして贈っているのだそうです。
今ならSwitchの方が喜ばれそうです。
恐山 極楽編
参道を進んでいくと突如視界が開け、リゾートビーチのような風景が広がります。
真っ白な砂浜にエメラルドグリーンの水面は沖縄のプライベートビーチのようです。
ここは宇曽利山湖(うそりやまこ)という湖です。
参道とは対照的に、極楽のような雰囲気です。
場違いとも思える砂浜に透き通った湖、普段感じることのない静寂は極楽と呼ぶに十分で、夢の中にいるようなふわふわした感覚に陥りました。
昔の人がここをあの世と表現したのも頷けます。
参道に戻ります。
改めて景色を見渡すと、山肌は真っ白な瓦礫と真っ青な緑のツートンカラーで、周囲は硫黄の臭いに包まれている。
普段暮らす場所からあまりにもかけ離れています。
滞在時間はものの1〜2時間、やったことは寺を廻っただけです。
ただ、参拝後に感じた満足感と晴れやかな心境は今までに感じたことのないもので、わざわざ飛行機とフェリーを乗り継いできてよかったと思える場所でした。
国内で10個行くべきところを挙げろと言われたら、おそらく僕は恐山を含めると思います。
当面東北新幹線は半額で乗れるみたいなので、JR東日本圏内の方は雪深くなる前にぜひ。
それでは今日はこの辺で。
飛行機とフェリーで恐山へ④ ちょっと脱線 核施設の村 六ヶ所村を通過した時に感じたこと
フェリーから見た夜空に心奪われた夜を経ていよいよ青森へ。
これまでの旅程はこちらから。
下北半島を北に向かってドライブ
午前7:30。八戸港に到着です。
早速港近辺のレンタカー屋に行き、車を借ります。
青森県の北部はざっくり津軽半島と下北半島で構成されており、恐山は下北半島の突端部、斧の刃のようなあたりにあります。
八戸港からだとおよそ100km超、2時間くらいの行程です。
小川原湖という湖を越えるあたりまでは青森の東端の海沿いをひた走ります。
湖を超えたあたりで徐々に西側へと進み、陸奥湾に面した逆側の海沿いを進みます。
湖が見えるころにはすっかり人家は減り、緑豊かなエリアに突入していました。
核の村 六ヶ所村で感じた印象
途中、風力発電の風車がやたらにある場所を見つけました。
このあたりは六ヶ所村という村で、一昔前にエネルギー関係でちょくちょくメディアに報道されていた自治体です。
エネルギーと言っても、話題になったのはこの風車を用いた風力発電ではなく、原子力発電です。
六ヶ所村には凄まじいほどに核関連施設が集中しており、中でも注目を集めていたのが「六ヶ所再処理工場」です。
端的に言うと各地の原発の使用済み核燃料を集め、それからウランとプルトニウムを取り出すことを目的とした施設です。
建設が始まったのが1993年、2009年竣工予定だったはずが、未だに完成には至っておらず、すでに2兆円を超える費用が投じられています。
東日本大震災を経たことで竣工は大きく遠ざかっただろうし、現状の稼働予定が立っているのかどうかはわかりません。
(追記:今年5月の報道によると、まだ稼働の目処は立っていないそうです)
疑問に思ったのは、「六ヶ所村=金銭的に豊かな村」は果たして事実なのか?ということです。
六ヶ所村は核関連施設の誘致により、国から多額の援助を得ている。
それによって、村の住人の暮らしはめちゃくちゃ豊かだ。と言う噂が一時期流れました。
事実、青森県の市町村民経済計算を見ると、六ヶ所村だけ一人当たりの所得が抜きん出て高い。
他の青森の市町村の住民と比べておよそ6~8倍くらいと、数字だけ見ると別世界の住人です。
ただ、実際に村を通り抜け、短い時間ながら雰囲気を感じ取ったところ、どう見ても金持ちっぽい雰囲気ではありませんでした。
むしろ田舎の中でも寂れた田舎、営業しているのかしていないのかわからないような理髪店が立ち並び、最寄りのコンビニがどこにあるのか検討もつかないような、がっつりめの田舎でした。
この地域の人たちが一人当たり年間1,650万円の収入を得ている?
失礼ながら、あの芦屋市にダブルスコアをつけている街並みやインフラには見えません。
日本で最もリッチな村と言われている愛知県飛島村の場合
・異様なまでに手厚い社会保障
・小・中学生を対象とした海外研修を村が全額負担する
など、外から見てもその豊かさが感じられるエピソードがあるのですが、私が調べた限り、六ヶ所村に目立った話は見つけられませんでした。
(これは政策の舵の切り方だったり、税収と国からの支援の違いだったり、何より私が見つけられなかっただけの可能性もあるので、戯言程度に読み流してください。)
とはいえ、市町村民経済計算に数字が出ているのは事実なので、平均値のマジックで特定のどこかに富が集中しているのでしょうか。
疑問は絶えないながらも、今まで抱いていたイメージとは違う姿を見せた六ヶ所村でした。
追伸
再処理工場やその周辺の施設で働いている人が集まる工業団地みたいなところがあって、そこは目に見えて豊かだったりするのでしょうか。
機会があれば地元の方の話を伺ってみたいです。
なぜこんなところにこんなゴミが
そんなことを考えているうちに車は北上し、横浜町(≠横浜市)を抜け、むつ市へ。
途中えらく派手にゴミが打ち捨てられた場所があり、そのゴミの中に信号の遮断機があったので思わず足を止めました。
なんでこんな原っぱに放置してるんだろう。踏切って何ゴミになるのかなあ。
青森のゴミ処理事情を不思議に思いつつ、車は下北半島の奥深いエリアに進んでいきます。
出発から2時間半あまり、ようやく恐山に到着です。
いよいよこの旅行の本丸に突入します。
それでは今日はこの辺で。
飛行機とフェリーで恐山へ③ 北海道〜青森間のフェリーで夜空を見る
第一の目的地、北海道の支笏湖を離れ、一路苫小牧へ。
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苫小牧のホッキ貝が食べたい
午後9時前、苫小牧に到着しました。
フェリーの出発時間は23:59。時間はまだたっぷりあります。
思えば成田を出発してからほぼ何も口にしていなかった我々。
ぼちぼちお腹も減ってきました。
フェリーに乗り込む前に北海道グルメを腹に入れておきたい衝動に駆られます。
苫小牧のグルメといえばホッキ貝。貝は大好物です。
早速お寿司が食べられる店を探し始めます。
が、到着時間が遅かったこともあり、ほとんどの店が閉まっています。
加えて駅から港に向けて中途半端に歩き始めてしまったため、港に向かう導線上に徒歩で向かえるお店に選択肢が限定されます。
結果、道中に回転寿司があったので入店。
(調べてもヒットしなかったので、もう潰れてしまったのかも)
意気揚々とホッキの握りを注文。うまい。
他のメニューもいただこうと思ったところ、閉店間際なこともあり、多くのネタが品切れ状態。
やむを得ず腹を満たすために在庫のあるネタをいただきます。適当に頼んでも北海道の回転寿司はうまい。
20分ほどでササッと退店。
今度苫小牧に来ることがあったらマルトマ食堂のホッキカレーが食べたいなあ。
あとは特に意味はないけど駒大苫小牧も見ておきたい。
この時も行きたかったけど同行した友人が野球好きじゃなかったので断念しました。
船から見上げる北海道の夜空
フェリー乗り場に到着。
船の到着を待ちます。
(撮影忘れのため写真はフリー素材)
この日乗船したのはフェリー「べにりあ」の2等室。
いわゆる雑魚寝部屋です。
(HPによると23:59 苫小牧発は「シルバーティアラ」というやや上等な船ですが、シルバーティアラには雑魚寝室がないため、これには乗っていません。3年以上前の旅行のため、当時とダイヤが変わっているのかもしれません)
船に揺られること数時間。
港からすっかり離れ、見渡す限りの海原です。
この時、同行していた友人の一人が星に詳しい男で、デッキに出て星空を見ようと言いだしました。
僕個人は星座に明るくなく、とりあえずパッと見て戻ってくればいいか、くらいに考えていました。
甲板に出て空を見上げると、思わず絶句しました。
一面の星空。黒くなっているところの方が少ないんじゃないかってくらいの圧倒的な数の星が広がっていました。
天の川もくっきりと見て取れます。
普段暮らしているあたりだと、かろうじて天の川か否かが判別できるくらいのものなので、なるほどここまで真っ白な筋が走っているなら川と呼ぶのも納得だと感じられました。
友人が「あれは〜座で、その左にあるのが○座だ」みたいな解説をしてくれていますが、船が波を切る音も相まって耳に入ってきません。
何より、広大な銀河に心奪われていました。
手元にある撮影機器はiPhoneしかなく、星の輝きは記録できません。
こんなことならまともなカメラを調達していたのに…と後悔したものの、どうしようもないので、星空を脳裏に焼き付けることに神経を集中させました。
比較対象が思いつかないほど、今まで見た夜空の中でダントツの明度でした。
周りに光源がないという意味でいうと、数年後に訪れた小笠原航路の方が上だと思うのですが、それも比にならない苫小牧〜八戸間の夜空。
東北は星が綺麗に見えるのでしょうか?それとも6月は天体観測に向いた季節なのか?
理由はわからず終いでしたが、予想だにしないタイミングで旅の思い出を得ました。
1時間ほど夜空を堪能したのち、雑魚寝部屋に戻って就寝。
起きたら青森でした。
ここからはレンタカーに乗り込み、恐山を目指します。
それでは今日はこの辺で。
飛行機とフェリーで恐山へ② 新千歳から支笏湖へ
2017年6月、いざ行かん成田空港へ。
最安ルートを模索した前回の記事はこちら。
北海道観光 支笏湖へ
東京駅から成田へ。
リムジンバスに乗って向かいます。
当時はLCCに乗りたいがために成田まで馳せ参じていましたが、JALやANAも早めにとればそれなりに安い金額で取れることを知りました。
成田から飛行機に乗って新千歳へ。
今回の経由地、北海道に到着です。
新千歳に到着したのが昼過ぎごろ。
苫小牧からのフェリーは23:59発。
まだ半日時間があります。
当初はこの時間に北海道の名所を回ろうか、なんて話もありましたが、北海道は広い。
小樽や積丹、洞爺湖はちょっと厳しい。函館なんてもってのほか。
時間的制約がある中で我々が選んだのは支笏湖(しこつこ)でした。
空港から西に50km弱、片道1時間くらいが上限でした。
新千歳と支笏湖って地図上なら目と鼻の先みたいな雰囲気なのに実際は50kmも離れてる…北海道は広すぎる。
支笏湖は湖界の隠れた実力者
支笏湖に到着です。
北海道には摩周湖やサロマ湖、洞爺湖に阿寒湖、屈斜路湖といった知名度の高い湖がたくさんあり、支笏湖は少し存在感が薄いイメージがありました。
しかし、併設されたビジターセンターで学んだところ、非常に地力の高い湖であることを知りました。
数々の栄誉がこちら。
・透明度 全国1位
→厳密には水質調査の度に入れ替わるらしい。トップクラス。
・水深 全国2位
→1位は秋田の田沢湖
・貯水量 全国2位
→1位はおなじみ琵琶湖。大きさは琵琶湖の方が約9倍だが、水深がある分水を貯められるらしい。
・日本最北の不凍湖
→深い湖底には暖かい水があって、極寒の北海道でも凍らないらしい。
DHCみたいだ。
ちなみに地図上で見るとこぢんまりした印象を抱いていましたが、面積も国内で8番目。
なんもかんも北海道がでかすぎるのが悪い。
さすがは様々な栄冠(?)に輝いてきた支笏湖である。
適当にスマホをパシャパシャさせるだけでも美しい景色が撮れます。
ほとりに石が積まれていました。
こういう賽の河原的なのは恐山で見るつもりだったけど先に見つけちゃった。
透明度日本一の湖面に心を洗われつつ、周辺も散歩。
この鉄橋は山線鉄橋といい、苫小牧から物資を運搬させるために架けられた道内最古の鉄橋だそうです。
この湖の上を走るSLは画になっただろうなあ。橋の向こうには目的地の苫小牧が待っていると思うと言語化できないエモさを感じます。
公園内に神社を発見。
湖畔散歩を満喫しているうちにすっかり日も暮れてきたので、そろそろ支笏湖を後にします。
山線鉄橋のはるか南、苫小牧でフェリーを待ちます。
それでは今日はこの辺で。
飛行機とフェリーで恐山へ① 最安ルートを考える
2017年6月、青森は恐山に向かいました。
貧乏社会人が工夫を凝らした交通費節約術をご覧ください。
東京から青森へのルートを考える
本州の最北端、青森県。
47都道府県の中で唯一訪れたことがなかった場所。
シンプルにアクセスの便が悪いのである。
東京に越してきてから現実味が出たものの、関西で貧乏学生やってた頃は夢のまた夢のような場所だった。
東京から青森へはどう向かえばいいのか。アクセスを考えます。
①新幹線
一番ベタな方法である。
何より、乗りたい。
開通したての北海道新幹線に乗らない手はない。
しかし料金は片道だけで17,870円。
貧乏社会人の手前、往復で使うには苦しい。
しかし、乗りたい。
友人との協議の結果、「帰りは新幹線に乗る」という結論に至った。
②バス
貧乏人の味方、深夜バス。
しかし、これには乗らないと決めていた。
まず、同行する友人が関西から東京に別件で前入りする際に深夜バスを使っており、すでに疲弊気味だったこと。
そして、楽しい旅行にあたって「深夜バスでほぼ徹夜」で体力を大きく削られた状態でスタートすることは、いくら貧乏とはいえさすがに避けたかった。
幾多もの旅行を経験してきた中で、これが一番興を削ぐ要素なのである。
③飛行機
LCCを使えば最も早く、安くたどり着ける飛行機。
しかし、残念ながら青森-東京間を結ぶLCCは就航していない。
JALしか選択肢がないので、必然的にお高くなってしまう。
余談だが青森空港は台湾や韓国、中国への直行便があるしっかりとした国際空港であった。
(この記事を書いている時点ではコロナウイルスの影響で運休中)
ほかにも札幌、名古屋、伊丹、神戸を結ぶ空路があり、地方空港侮るなかれ、という気分になった。
④船
青森ってマグロのイメージあるし東京から船出てるんじゃないか?
そんな薄弱な仮説を立ててみたが、残念ながら航路はなかった。
仮にあったとしても、東京から船で向かうとなると一晩、いやそれ以上はかかるはずだから、現実的な選択肢ではない。
禁じ手の「北海道経由」
ひととおり選択肢を出し終えたが、どうもしっくりくるものがない。
安くて快適で、ついでになんかワクワクする移動手段はないものか。
いっそレンタカーで青森まで向かってやろうか。いや自分はペーパードライバーだ。同行する友人に至っては免許を持ってさえもいない。途中で心が折れた時にどうしようもなくなってしまう。
悶々としながら考えた。
「新千歳ならLCCも飛んでるんだけどなぁ」
…新千歳。
北海道。
北海道と青森は…まぁ近い。
飛行機、フェリー、レンタカー。
点と点が線でつながった。
作戦はこうだ。
まず東京から新千歳へ向かう。
北海道から船に乗り、青森の港を目指す。
港からはレンタカーを借りて恐山へ向かう。
東京から新千歳は心配するまでもない。LCCなら数千円で飛行機が飛んでるはずだ。
北海道から青森の船は?
青函トンネル経由は新千歳からの移動距離が長すぎて現実的ではない。
あった。
新千歳から電車で30分あまり、苫小牧から青森の八戸へフェリーが出ている。
23:59発、翌朝7:30八戸着の夜行便である。
フェリーの料金は5,000円強。いける。
フェリーは夜行バスよりはるかに快適に眠れる。副次的にホテル代も浮かすことができる。
新幹線より安く、深夜バスより快適。そしてワクワクする経路を、北海道を経由するという掟破りの方法で見出したのだ。
善は急げの精神。我々は飛行機、フェリー、レンタカーを手配し、急遽拡大された北海道〜青森ツアーの迎えることとなった。
(追記)
新幹線を使った場合、片道17,800円。
飛行機〜フェリーのルートは空港からの電車賃等を含め、13,000円くらいだった。
誤差じゃねーか!と思われるかもしれない(多少の蓄えがある今なら私自身も思う)が、この時は日中東京で用事があり、少し遅めの出発だったのだ。
(だから友人は前入りしていた)
故に新幹線で向かうと青森での余分な宿泊を余儀なくされ、ホテル代が加算される羽目になっていたのだ。
そうなると選択肢はバスか今回のルートしかなく、バスを拒むのは前述した通りだ。
したがって、あくまで当時の我々の立場ではあるが、このルートには1万円近くの節約効果と、謎のルートを採用したワクワク感があったのだ。
次回は経由地(?)北海道に向かいます。
それでは今日はこの辺で。
三宅島旅行記⑥ 小鳥の楽園 大路池と三宅島との別れ
阿古地区の廃校跡を見た後は東の坪田地区へ。
三宅島の南端、緑が豊かなエリアです。
ここまでの行程はこちらから。
アカコッコが住む大路池
午後1時ごろには帰りのフェリーが出てしまうので、近場で手軽な場所で過ごします。
向かったのは坪田地区の大路池(たいろいけ)。
大きな池の周りに遊歩道が整備されていて、気軽な散歩にちょうど良い場所です。
ちなみに行きはプロペラ機でしたが、帰りは船で帰ります。
せっかくなので乗り物を変えたいという趣向です。
遊歩道の入り口にはアカコッコ館という建物があります。
施設の名前は三宅島に生息する絶滅危惧種 アカコッコから取られています。
日本の固有種で、絶滅危惧種に指定されています。
日本の鳥とは思えない鮮やかな色合いをしていて、見れたらラッキーだなぁと思いつつ、もちろん見られませんでした。
(この手のは最初から見れないと思っておいた方がダメージが少なくて良い。けど施設の人は頻繁に見れるって言ってたなぁ…)
アカコッコ以外にも、コマドリ・メジロ・ヒヨドリなど、250種もの野鳥が見られる三宅島は野鳥の楽園、洋上のバードアイランドと呼ばれているそうです。
(季節によって見れる鳥は違うのでしょうが、バードウォッチングに明るくない僕はさっぱりわからず。アカコッコも夏ごろがピークなんでしょうか)
アカコッコ館にはバードウォッチングブース的なものもあり、施設内にいながら森の様子をじっと見られます。
我々は出航までの限られた時間で訪れている訳なので、残念ながら腰を据えてバードウォッチングすることはできませんでした。
代わりにアカコッコになりきれる着ぐるみ(?)があったのでコスプレしました。
頭部がピングーにしか見えない。
三宅島の水源 大路池
アカコッコ館を出て大路池に向かいます。
大路池は2,000年以上前にできた火山湖で、島の水源として貴重な役割を担っています。
正直湖自体はあまり綺麗ではないです。(池って言ってるくらいだし)
澄んだ湖面を眺めるというよりかは、水面の揺らめきと小鳥のさえずりを自然の中で楽しむのが乙な場所です。
ただ我々は出航までの限られた時間で訪れている訳なので、残念ながら腰を据えて自然を堪能することはできませんでした。(二回目)
マイナスイオンをほどほどに浴びたところでタイムアップ。一路港へと向かいます。
その前にもう一度山を振り返ります。
黒土が走る山肌は何度見ても異様で、火山に取り憑かれたような気分になります。
伊豆、特に三宅島は本当に魅力的な場所です。都市部からほんの少し足を伸ばしただけでこんな幻想的な景色が見られるのが不思議で、とても幸福です。
船が到着、ほどなくして出発しました。
遠ざかっていく三宅島と青い海を見ながら、今度来た時は山頂部の緑が豊かになってるといいなあ、けどそうなると独特な雰囲気は薄れるなあ、なんてことをぼんやりと考えていました。
改めて見てもめっちゃ煙出てますね。
13:30ごろに島を出て、東京に戻って来たのは20時ごろ。
三宅島にはなかった光源を見て、短い旅が終わったことを実感しました。
それでは今日はこの辺で。
三宅島旅行記⑤ 溶岩に飲み込まれた廃校 阿古小中学校跡へ
雄山を堪能した翌日は、港にほど近い阿古中学校跡に向かいます。
ここまでの行程はこちらから。
1983年から時間が止まった阿古小中学校跡
港(錆ヶ浜港)から車で5分ほど走ると、阿古という地区に入ります。
三宅島は島中央部を除き、ホールケーキをカットしたような形でいくつかの地区に別れています。
阿古はその中の地区の一つ。前日訪れた椎取神社やサタドー岬とは海岸を挟んで対岸にあります。
三宅島の観光拠点の一つに当たる阿古地区。昔は阿古小中学校という学校がありました。
1983年の噴火の際、この地区にマグマ流入。
近隣の施設や集落は一夜にしてマグマに飲み込まれ、壊滅的な被害を受けました。
阿古小中学校も同様、あっという間に溶岩の餌食となりました。幸いその日は休日で、学校にいた人はいなかったそうです。
そんな阿古小中学校跡が、40年近く経った今でも残されています。
校舎の裏側から。建物内も溶岩に飲まれています。
体育館跡(?)。鉄骨がひん曲がり、コンクリ部以外は原形を失っています。
グラウンド跡には遊歩道が整備されており、溶岩の上を歩けるようになっています。
遊歩道の高さは体育館の天井と同じくらい。このグラウンドには体育館と同じくらいの高さのマグマが押し寄せ、そのまま冷却されたようです。
(マグマが何層にも折り重なっている可能性もありますが、そのあたりのディテールははっきりとした記録を見つけられませんでした。)
ふとグラウンド跡に視線を移すと、見渡す限り溶岩が広がっていました。
40年前のある日まで、ここには子供達が走り回ったり、地域の交流で用いられる姿があったのだと思います。
それが文字通りあっという間に、誰も見たことがない光景に様変わりして、それまで営んでいた生活が一変した。そんなことを想像すると、空恐ろしい気分になりました。
噴火なんてものは、少なくとも僕の生活圏で意識したことはないし、被害を被った人と出会ったこともありません。
けど、片道たかだか1時間、同じ国でこんなことが起こっていたという事実は確かにあって、そのことを理解した時の感情は、悲しいでも辛いでもない、不思議なものでした。
学校跡近くの海に来ました。
前日とはうって変わって晴天、水面も青々としています。
岩の形を見るに、これらも流れ出た溶岩でしょうか。
学校の窓から見る海は、それはもう綺麗だったんだろうなぁ。
生徒は突然、その景色を見られなくなったんだろうなぁ。
内地に避難してからは、学校から見る海を思い出してたのかなぁ。
波の音を聞いていると頭がぼーっとしてきて、40年前のこの場所に思いを馳せてしまいました。
特に意味もなく感傷的になったところで学校跡を離れ、森に向かいます。
それでは今日はこの辺で。