三宅島旅行記⑤ 溶岩に飲み込まれた廃校 阿古小中学校跡へ
雄山を堪能した翌日は、港にほど近い阿古中学校跡に向かいます。
ここまでの行程はこちらから。
1983年から時間が止まった阿古小中学校跡
港(錆ヶ浜港)から車で5分ほど走ると、阿古という地区に入ります。
三宅島は島中央部を除き、ホールケーキをカットしたような形でいくつかの地区に別れています。
阿古はその中の地区の一つ。前日訪れた椎取神社やサタドー岬とは海岸を挟んで対岸にあります。
三宅島の観光拠点の一つに当たる阿古地区。昔は阿古小中学校という学校がありました。
1983年の噴火の際、この地区にマグマ流入。
近隣の施設や集落は一夜にしてマグマに飲み込まれ、壊滅的な被害を受けました。
阿古小中学校も同様、あっという間に溶岩の餌食となりました。幸いその日は休日で、学校にいた人はいなかったそうです。
そんな阿古小中学校跡が、40年近く経った今でも残されています。
校舎の裏側から。建物内も溶岩に飲まれています。
体育館跡(?)。鉄骨がひん曲がり、コンクリ部以外は原形を失っています。
グラウンド跡には遊歩道が整備されており、溶岩の上を歩けるようになっています。
遊歩道の高さは体育館の天井と同じくらい。このグラウンドには体育館と同じくらいの高さのマグマが押し寄せ、そのまま冷却されたようです。
(マグマが何層にも折り重なっている可能性もありますが、そのあたりのディテールははっきりとした記録を見つけられませんでした。)
ふとグラウンド跡に視線を移すと、見渡す限り溶岩が広がっていました。
40年前のある日まで、ここには子供達が走り回ったり、地域の交流で用いられる姿があったのだと思います。
それが文字通りあっという間に、誰も見たことがない光景に様変わりして、それまで営んでいた生活が一変した。そんなことを想像すると、空恐ろしい気分になりました。
噴火なんてものは、少なくとも僕の生活圏で意識したことはないし、被害を被った人と出会ったこともありません。
けど、片道たかだか1時間、同じ国でこんなことが起こっていたという事実は確かにあって、そのことを理解した時の感情は、悲しいでも辛いでもない、不思議なものでした。
学校跡近くの海に来ました。
前日とはうって変わって晴天、水面も青々としています。
岩の形を見るに、これらも流れ出た溶岩でしょうか。
学校の窓から見る海は、それはもう綺麗だったんだろうなぁ。
生徒は突然、その景色を見られなくなったんだろうなぁ。
内地に避難してからは、学校から見る海を思い出してたのかなぁ。
波の音を聞いていると頭がぼーっとしてきて、40年前のこの場所に思いを馳せてしまいました。
特に意味もなく感傷的になったところで学校跡を離れ、森に向かいます。
それでは今日はこの辺で。