ナンバープレートの地名表示が一番多彩な都道府県は千葉と東京になりました
先日近所を散歩していると「葛飾ナンバー」の車を見つけました。
葛飾ナンバーなんかあったかな?と思い、家に帰って調べてみると、5/11に17の地域で新たなナンバープレートが発行されたみたいです。
そういや一昔前に地元でも堺ナンバーが導入されてたなあ、などと思いつつ、乗りかかった船の気分で調べてみました。
17の地域が新たに追加
今年の5/11に追加されたご当地ナンバーは
知床、苫小牧
弘前、白河
松戸、市川、船橋、市原、江東、葛飾、板橋
上越
伊勢志摩、四日市
飛鳥
出雲
高松
の17地域。
九州の追加はありませんでした。
四国は今まで1県1ナンバーが続いていましたが、高松が追加されたことにより、初の「県名以外のナンバー」が誕生しました。
また、今回のご当地ナンバーは地方版図柄入りのものが同時に発行されています。
地域の魅力を発信することを目的に、各地域の名物がプリントされています。
板橋は…かわいらしい柄ですが、なにを表しているんでしょうか。
地味にデッドヒートしてた最多ナンバープレート地域数
今回の追加により、最多のナンバープレート地域数を抱える都道府県のランキングに変動がありました。
今ままでは自動車大国 愛知県が堂々の8地域を掲げ、首位をキープしていました。
しかし、愛知県は過去に岡崎、豊田、一宮、春日井と4つのご当地ナンバーを発行していたためか、今回は追加0でした。
そんな愛知の寝首を掻いたのは千葉県でした。
松戸、市川、船橋、市原と、愛知のお株を奪う4つの追加により、トータル10地域、驚異の2桁に到達し、首位に躍り出ました。
松戸、市川、船橋なんてほとんど同じエリアなのでは…と思ったりもしますが、執念が勝ったのか、地域住民からの熱い支持があったのか、今回の追加に成功しました。
首都東京も負けてはいません。
江東、葛飾、板橋の3地域を追加し、千葉に並ぶ10種類に。
足立と葛飾ってお隣だし、松戸や市川も近いから、今回の追加でこのあたりがご当地ナンバー天国になったな…などと思う地域住民の心境です。
北海道も大躍進です。
知床、苫小牧を追加し、既存のものと合わせて合計9地域。
面積比で考えたらもっとあってもおかしくありませんが、結果的に愛知を追い越しました。
今回の追加によりナンバープレート数のランキングは
1位(10種類):千葉、東京
2位(9種類) :北海道
3位(8種類) :愛知
となりました。
面白いもので、ナンバープレートの種類は都道府県の人口や発展度合いと必ずしも準比例しません。
例えば、福島県は今回追加された白河ナンバーを含めて5種類、青森県は3種類ありますが、京都府は「京都」ナンバーの1種類しかありません。
福島県は経済圏が福島、郡山、いわきの3地域に別れていて、青森も同様に青森、弘前、八戸に分散しています。
一方、京都は比較的京都市に一極集中しており、そういう地域性も関連しているのかもしれません。
道で見慣れないナンバーを見かけたら、「あれはいつ発行されたナンバーだろう」と思いを馳せてみるのも面白いですね。
それでは今日はこの辺で。
大阪府唯一の村 千早赤阪村の原風景をぶらり
平成の大合併により、体力がない自治体が周辺の地域に吸収され、村が一切ない、という都道府県も珍しくありません。
「村無し県」は地方が顕著で、神奈川には清川村、愛知には飛島村、東京は伊豆諸島のおかげで全国でも屈指の数の村があります。
大阪もその例に漏れず、43の自治体のうち、1つだけ残存している村があります。
今回はそんな大阪の村、千早赤阪村をブラブラした話です。
大阪唯一の過疎地域 千早赤阪村
千早赤阪村は大阪府の南河内地方、金剛山を隔てて奈良県と隣接した場所にあります。
人口は平成27年の発表で5,378人。もちろん?大阪府内で最下位です。
以前こちらの記事でご紹介したとおり、大阪は狭いながら府内全域に満遍なく人が住んでいることが特徴なのですが、千早赤阪村はその中でも異質というか、抜きん出て人口が少ない自治体です。
大阪府の人口と可住地面積の話 - ソトブラ -ソトをブラブラしたくなる土地ネタブログ-
村内に電車の駅はなく、ロープウェイの駅があるだけ。高校はおろか、コンビニもなく、府内で唯一の過疎地域に指定されています。
そんながっつり田舎の千早赤阪村ですが、電車以外ならアクセスは容易なので、この日は実家で腐っていた原付に乗って遊びに行きました。
棚田と楠木正成の地 千早赤阪村へ
2016年9月、実家の岸和田を出発して2時間弱、あっさり千早赤阪村に到着です。
平坦な土地が多い大阪ですが、奈良との県境にほど近い河内に入ると、山に囲まれた景色に変わっていきます。
千早赤阪村は棚田が有名で、その風光明媚な風景から、日本の棚田百選に選ばれています。
棚田の良し悪しはわかりませんが、確かに夕焼けの生える原風景というか、心のふるさとと言って差し支えない光景が広がっています。
また、千早赤阪村は鎌倉〜南北朝時代の武将 楠木正成の出生地と言われています。
南北朝時代にはこの場所にあった千早城を舞台とした赤坂の戦いがあり、この戦いで幕府から護良親王を守ったことで名前を挙げたと伝えられています。
村内をブラブラしていると、そんな赤坂城跡への道のりを示す手製の看板を見つけました。
赤坂城より気になったのがその下にある「ここは道の駅 誕生地」の文字。
え、千早赤阪村って道の駅発祥の地なの?と驚き、後ほど調べたところ、どうやら道の駅第一号を名乗る場所は島根や山口、新潟など、全国に点在しているようです。この看板も参考程度に思っておいたほうがよさそうです。
散歩を続けていると、ウッドデッキのような休憩所を見つけました。
しばし休もうと立ち寄ると、味のある看板を発見。
なにもないからいいところ…。
なにもしない贅沢。
のらりくらり、ぼけ〜っと…。
いやしの里でのんびり過ごす贅沢。
ちはやあかさかで過ごす、
至福の刻。
先述のとおり、千早赤阪村はコンビニもない不便な場所です。
とはいえ、コンビニがないことで、どこまで歩き回っても自分の知っている世界に引き戻されず、普段考えないようなことに考えを巡らせることができます。
フル回転して思慮に耽ると、頭の中がクリアになり、スッキリした気持ちになります。脳のデトックスです。
普段暮らしている環境は外界の刺激が多く、内なる思考に集中することが思った以上に難しいので、それができるだけでも素敵な場所だなあ、この看板に書いてある言葉は、まさに真理だなあと感じました。
その後も見渡す限り緑色の景色に囲まれながら、日が暮れるまで村を堪能しました。
頭が疲れたらまた来ようと誓い、帰路に着きました。
それでは今日はこの辺で。
クリスマスイブの佐野ラーメンと廃墟のゲームセンター【栃木県佐野市】
2016年12月24日 晴天のクリスマスイブに、栃木県の佐野市に向かいました。
ちょうど先輩からバイクを譲ってもらったばかりでどこかに行きたかったことと、数日前に都内で佐野ラーメンを食べて「なんだこの美味いものは」と思い、本場で食べたいという気持ちが抑えられなくなったことで、聖なる日の前日にバイクにまたがる運びになりました。
栃木県佐野市へ
当時住んでいた三鷹から栃木県佐野市までは多めに見積もって2時間ほど。東北自動車道に乗って北へと向かいます。
(いつも思うけどGoogleマップの予想到着時間って速すぎますよね)
目的地は「らーめん大金」。ザ・佐野ラーメンと言わんばかりのスタンダードな見た目で、食べログの評価も抜きん出て高いお店です。
かなり郊外の立地なので、電車よりもバイクで向かったのは正解でした。
とはいえ、冬の高速をバイクで走るのはめちゃくちゃ寒いです。
家にある一番モコモコしたダウンを着てきたのに、ひとつも役にも立ちません。途中幾度となくPAやコンビニでホットコーヒーを飲み、暖を取りながら距離を稼いでいきます。
(コーヒーのせいで何度もトイレ休憩を挟む泥沼にはまりました)
らーめん大金と謎の廃墟
午後1時ごろ、カチカチ震えながらもらーめん大金に到着。お昼のピークタイムは過ぎていたものの、駐車場はみっちりと埋まっていました。
らーめん大金の佐野ラーメン。クリアな中にもどっしりとした味わいのスープ。柔らかジューシーなチャーシュー。個人的に大好きな佐野ラーメン特有の平打ちちぢれ麺。
食べにきた価値、あり。素晴らしきかな佐野ラーメン。喜多方ラーメンとごっちゃになるけどっちも愛してるよ。
すっかり満足したところでらーめん大金を後にします。
時間にたっぷり余裕があるので、少し遠回りして帰ります。
するとその道すがら、とある廃墟を見つけました。
看板を見ると「ゲーム 自動販売機」の文字。
すっかり朽ち果てていますが、「かき氷」とも書かれています。
入り口には「改装中につき出入できません」の記載。
この朽ち果てっぷりは絶対改装しないだろとツッコミを入れます。
さらにガラス越しに中を覗き込みます。
コンビニくらいの建屋の中に、ベニヤ板の簡易的な壁が張られています。
ポスターが張られているところを見ると、営業当時もベニヤ板はむき出しだったようです。
営業当時の様子が気になり、「ゲーム 自動販売機」で検索してみました。
すると、「自動販売機ゲーム24 SAITO石上店」という店舗を発見。レトロな雰囲気の店舗に、どえらい古いパチスロ機やカップ麺の自販機が並んでいます。
この日見つけた店舗も現役当時はこんな感じだったに違いありません。「ゲーム 自動販売機」というのは「ゲームの自動販売機」ではなく、「ゲームと自動販売機」を指していたようです。
自動販売機ゲーム24 SAITO石上店も同じく国道沿いにポツンと建っているので、長距離移動中の運送業者がターゲットだったのでしょうか。今ではこの手のマニアがメイン層になっていそうです。
クリスマスイブのロードサービス
その後廃墟を離れ、しばらく走った後、埼玉のセーブオンで一服していたところ、バイクのエンジンがかからなくなりました。
キックで優に100回以上イグニッションを試みるもうんともすんとも言わず、ついに断念。ロードサービスを召喚しました。
周辺に田畑しかないセーブオンでロードサービスを待ってる時の気持ちは、クリスマスイブにはまるでそぐわないものでした。
それでは今日はこの辺で。
東京都内の秘境(?)駅 青海線 白丸駅をぶらり散歩
中央線や青海線は車窓から見える景色が本当に綺麗です。
アクセスの手軽さと美しさを掛け算すると、日本トップクラスの路線ではないかと思います。
そんな青海線の中で最も乗降者数が少ない秘境(?)駅、白丸駅に向かいます。
片道1時間半 手軽に秘境駅へ
渓谷に囲まれたロケーションと、普通に生活している分にはまず立ち寄ることがない物珍しさから、東京都内の秘境駅と呼ばれています。
新宿から片道2時間もかからず辿り着くこの駅のどこが秘境駅なのか、という気持ちもありつつ、その景色の美しさには以前より心惹かれていました。
2017年1月、成人の日の朝に出発。
スタート地点は当時住んでいた三鷹。1時間半もかからない行程なので、ゆっくりスタートします。
いつも通勤で使っている電車に揺られること1時間弱。乗り換え駅の青海駅に到着です。
青海駅の待合室は昭和チックなレトロな装飾が施されており、数分の待ち時間ながら目を楽しませてくれました。
奥多摩行きの確定列車に乗り換えます。冬真っ只中だったので、キャンプやハイキングに向かう乗客はほとんどいませんでした。
30分ほど経つと白丸駅に到着です。味のある標識が出迎えてくれます。
横を見ると白くて丸いものが。
まさかこれが駅名の由来ではあるまいと思いつつ、その前を通り過ぎます。
(待合室らしいです)
ホームから左右を撮影。
トンネルを出てすぐの所に駅があります。いかにも山あいの集落のために作られた駅という感じがします。飯田線で途中下車した時のことを思い出します。
駅を出て、周辺をうろうろします。
白丸駅はホームと民家が繋がっているので、出口を間違えると人の家の敷地に不法侵入してしまいます。
駅は高台にあり、国道に出るまでにやたらと傾斜のきつい階段を下っていきます。
白丸駅近辺をブラブラ
特に目的地も定めず、奥多摩方面の道沿いに進んでいきます。
標高が高いのと、雪が歩道脇に積もっていることで、普段暮らしているあたりより間違いなく寒いはずなのですが、この日は風がほとんどなかったので、見た目以上に快適だった記憶があります。
(今更ながら当時はiPhone 5Sを使ってたので、どの写真も画質が荒い、、、)
しばらく歩いていると、多摩川にかかる橋がありました。数馬峡橋というそうです。
同じ多摩川でも僕の知っている多摩川とは全然雰囲気が違うなあ、などと思いながら、橋の方向に歩いていきます。
後から調べると、多摩川の始点は奥多摩湖らしく、このあたりはほぼ最上流だったみたいです。
川崎あたりに達する頃には見る影もなくなっていると思うと、このあたりの美しい川が生まれたての赤ちゃんのように思えて愛おしく感じられます。
数馬峡橋から川を見下ろします。
山々に挟まれたエメラルドグリーンの水面は、東京にいることを忘れさせるような輝きを放っていました。
徳島の那賀町で見た景色に似ています。というか、この辺の雰囲気が四国の山あいにそっくりです。電車がなければ四国と言われても違和感ない。
いや、山あいの町がどこも同じような見た目なだけなのか。岐阜や長野あたりでも何回も見た気がする。
そんなことを考えながら、橋の向こう側に向かいます。
橋を渡ると和風な作りの建物がありました。
地主の家かと思いましたが、よく見るとお店を営んでいる看板が出ていました。
ここはアースガーデンという白丸では数少ない飲食店で、肉料理が有名なんだそうです。
小腹も減っていたので何かつまもうかと思いましたが、この日は定休日。オフシーズンはまるっとお休みなのかもしれません。適当に散歩しに来た日はこんな行き当たりばったりがちょうど良かったりします。
2~3時間ぷらっとしたあたりで電車に乗り、帰路につきます。
冬の森の匂いを身体いっぱいに吸い込んで、リフレッシュできた1日でした。
2018年以降、青梅〜奥多摩間は「東京アドベンチャーライン」と名付けられ、キャンプやハイキング客で盛況しているそうです。
今年の夏はキャンプしたいなぁ。
それでは今日はこの辺で。
小笠原旅行記⑨最終日後編 小笠原諸島との別れ 粋な見送りと夢のような時間
2/22 午後2時 おがさわら丸の出航までもうまもなくです。
ハートロックカフェを後にし、港に向かいます。
この船を逃すと次回帰れるチャンスは2/28。さすがに2週間のんびりはできないので、覚悟を決めます。
ここまでの様子はこちらからどうぞ。
父島からの出航
ハートロックカフェの帰りにもう一度大村海岸を目に焼き付け、おがさわら丸が停泊している二見港に向かいます。
二見港は出航を待つ人たちで溢れかえっていました。
二見港にはクジラのモニュメントがあります。
その前で小学生くらいの子供達が島の歌と思われるものを合唱していました。
内地の学校が来島していたのでしょうか。代表の子供が島の人にレイをかけたりする様子を、港にいる人たちが見守っていました。
我々一行も記念撮影を終え、船に乗り込みます。
宿で一緒になったメンバーのうち二人は滞在を延長すると言っていました。
中でも一人は一ヶ月滞在することにしたのだとか。島内での仕事についても話してたし、ひょっとしたら新たな島民になることを考えているのかもしれません。
胸が熱くなる島民の見送り
船のデッキは先に乗船した人たちで溢れかえっています。
理由はほどなくしてわかりました。
船に乗り込むと…
島民の皆さんが港に集まり、「いってらっしゃーい」と手を振ってくれています。
「さようなら」ではなく「いってらっしゃーい」です。ここは貴方の家だよ、また帰ってね、というニュアンスを含んだ言葉です。
中には太鼓を叩いて出航の安全を祈願してくれる人もいました。
人波に阻まれて多くの写真は取れませんでしたが、この他にも小笠原の伝統的な踊り「南洋踊り」を披露してくれていました。
島に残った友人たちも手を振ってくれています。
4日間の思い出が込み上げてきます。
出航の時間になり、おがさわら丸がゆっくりと進み始めました。
見送る人たちが少しずつ小さくなっていきます。
一人一人の顔がわからなくなるくらい島が遠ざかった頃、
たくさんの小舟が追いかけてきました。
小舟の上の人たちも手を振ってくれています。
手を振ってくれているこの方
おもむろに水面を確認し
飛び込みました。
他の舟の人もじゃんじゃん飛び込みます。
楽しそう
飛び込むと見送りはおしまいで、一隻一隻と舟が帰っていきます。
最後の一隻。こんな沖で飛び込んだら危ないんじゃね?と思ったものの、この舟は飛び込みませんでした。
小舟たちが引き返すと、父島はすっかり小さくなっていました。
地図で見ると2kmくらい離れたあたり。
方角を変えると何もない大海が広がっていました。
東京に帰還
ここから再び24時間の船旅です。
夕方に一度デッキに出て夕焼けの空を見ます。こんなに綺麗な水平線を見るの、次はいつになるかなぁとか考えながら感慨に耽ります。
夕食の時間になり、みんなとラウンジで集合。
この後は波が激しくなったこともあり、日が昇るまで部屋にこもっていました。
翌日昼
東京湾に入り、房総半島が見えてきました。
14:30 海ほたるが見えてきました。
東京はすぐそこです。
そして15:30 竹芝埠頭に到着しました。
昨日までは全く目にしなかった高層ビルが視界に飛び込んできます。
東京に帰ってきました。小笠原は遠い場所になってしまいました。
この日は友人と飲む約束をしていたので、日比谷に向かいます。
2月末、コロナの自粛はまだ始まっておらず、街には人が溢れかえっています。
ここにはタコノキもビロウも生えていないし、ノヤギやイソヒヨドリもいません。
ふわふわした気分のまま、街を歩きます。
居酒屋に到着。2時間くらいの飲み会で、すっかり現実に引き戻されました。
夢のような時間もすでに3ヶ月前の出来事。いつかまた小笠原の海を見れる日を願い、今日も街でがんばります。
それでは今日はこの辺で。
小笠原旅行記⑧最終日中編 最後の父島ダウンタウン巡り
ホエールウォッチングを終え、滞在時間は残り3時間。
父島の風景を目に焼き付けるため、二見港周辺のエリアを歩き回ります。
ここまでの様子はこちらからどうぞ。
大村地区をぶらり&中華料理屋 海遊でランチ
まずは小笠原諸島最大の繁華街、大村をぶらぶらします。
この4日間で幾度となくお世話になった地区です。何度も通ったお店も、滞在期間で一番の晴天で、パンフレットの写真のように見えます。
小笠原での最後のご飯は二日前にも来た中華料理屋「海遊」。
前回来た時は名物の「アカバラーメン」と一緒に行った人が絶賛していた「パオハン」で迷った末、アカバラーメンを食べたので、心残りがないよう、パオハンをチョイスしました。
これがパオハンです。チャーハンにチーズとエビチリのようなソースがのっています。めちゃめちゃ絶品。
何気に付け合わせの漬物も美味しく、最後の島グルメにふさわしい一品でした。
海遊に入ると、滞在中お世話になった運送会社のおじさん二人とばったり会いました。
「また船で会いましょうね〜」みたいな話をしつつ、二人は先に退店。僕がお会計しようとすると、「お代はさっきの二人からいただいてますよ」と言われました。
こんなかっこいいおじさん、初めて出会ったかもしれません。しかも恩着せがましい様子は一切なし。お二人と同部屋になれて、本当に幸せでした。またどこかで会ったら恩返しさせてください。
昼食を食べた後は再び町をぶらぶらします。
父島はビビッドな配色の建物が多く、なんとなくアメリカっぽさを感じます。
一本裏の路地に入ると飲食店や土産屋が軒を連ねます。
裏路地を散策していると、長い階段を見つけました。
この先には島唯一の神社 大神山神社があるそうです。暑さは相当なものですが、登ってみます。
大神山公園展望台から島を眺める
この階段、想像以上の段数でした。島は山間部が多いのである程度登ることは覚悟していましたが、内地の数倍の紫外線を全身に浴びながらのアタックは20代の体をもってしても容易ではありませんでした。
階段の途中に土俵を見つけました。神社にはちょくちょくありますが、小笠原の雰囲気とマッチしてなくて、異様な印象を抱きました。
アメリカの統治から日本に返還されて以来、特に意識的に日本的な要素を導入したのでしょうか。それとも、1960~70年代に建立された神社を中心に土俵が設けられているのでしょうか。息絶え絶えの回らない頭で想像を広げます。
登頂。境内には厳かな雰囲気が漂いつつも、内地の神社のように木々が鬱蒼と生い茂っていないので、開放的でハイカラな見た目をしています。
手水舎は鳥が水浴びをしに来るらしく、引き戸で閉じられていました。この滞在中に出会った色鮮やかな鳥たちが訪れるのでしょうか。
神社の右手を見ると、遊歩道がありました。
この先には展望台があるようです。
かなりの高台にあるので、小笠原の最後にふさわしい景色が望めそうです。
遊歩道は極めて野生的ながら、しっかりと予算を投じて整備されています。
滞在中に要所要所で感じましたが、こういう手付かずの自然と人工的なデザインを融合させているところに、ここは遠く離れていても東京都なんだなあと実感します。
展望台はメイン展望台、パノラマ展望台、山頂展望台の3つがあります。
せっかくなので山頂に向かいます。
山頂展望台に向かう途中に、洞窟のようなトンネルがあります。
中は本物の洞窟。突き当たりには古びた柵と、工具?のようなものがあります。戦時中に使われていた洞窟でしょうか。説明書きみたいなものは周囲になく、今もわからないままです。少しの疑問を抱いたままの方がロマンが膨れあがるので、それはそれで良いことです。
トンネルを出口側から見ると、入口側より幾分ワイルドです。
改めて展望台から島を見渡します。
息を飲むほどに、ただただ綺麗です。
島、海、空、緑、町。いろんな要素が視界に詰まっています。
海辺の広場。出航を待つ人たちが日光浴しています。
灯台。この近くで釣りをしている人が連日たくさんいました。
小笠原生協。向かいのスーパー小祝と何度もはしごしました。
併設された小学校と中学校。島で育った子供のうち、どれくらい島を離れる子がいるのでしょうか。
海岸と反対側。観光客に向けたよそ行きの景色と違い、日本的な家屋が立ち並びんでいます。
遠巻きから見ると、かえって町の人たちの息づかいを感じられる気がします。
父島の風景をひとしきり堪能したところで、まだ訪れていなかった町に一番近いビーチ、大村海岸を目指します。
下り階段で下半身をいじめつつ、大村海岸に到着です。
写真には写っていませんが、出航を待つ観光客が多く詰め掛けていました。
ダウンタウンから徒歩1分の海岸 人々の生活のすぐそばにあるとは到底思えない色です。
次にこんな海の色を見るのはいつになるだろう。帰宅が現実味を帯びてきて、少しネガティブな感傷に浸ります。
小笠原最後の店 ハートロックカフェ
最後の最後に、ハートロックカフェに3回目の来店です。
どうしても飲んでおきたかった「小笠原コーヒー」を注文します。
本来、日本の緯度はコーヒーの生育に適していないのですが、小笠原と沖縄の一部だけはギリギリ要件を満たしているらしく(それでも理想値の北限よりさらに北ですが)、国産のコーヒーを飲めるのは極めて貴重です。
これが小笠原コーヒー。この一杯で1,500円です。
狭い小笠原ではコーヒー農家は数える程で、加えて台風にその出来高を左右されるため、生産が全く安定しません。このべらぼうな値段も決して観光地価格ではなく、需給バランスからはじき出される希少さ故です。
味はとても薄く、苦味も感じられません。酸味が一番目立っているでしょうか。
味だけでいうと好みではありません。しかし、この味が小笠原の思い出の1ページになったり、似た香りを嗅いだ時に想起するだけでも、この一杯には価値があります。
時間は午後2時を過ぎました。いよいよ出航の時間が迫ってきました。
コーヒーを流し込み、船着場へと向かいます。
それでは今日はこの辺で。
小笠原旅行記⑦最終日前半 最終日の朝とホエールウォッチング
三泊四日の父島滞在もこの日が最終日です。
帰りたくないなーと思いながら朝を迎えました。ですが今日船に乗らないと次回の着船は1週間後。乗らざるを得ません。
ここまでの様子はこちらからどうぞ。
小港海岸まで朝のお散歩
昨日に続き、宿の近くにある小港海岸までお散歩です。
海岸に向かう途中の朝焼けに照らされた南国の風景がたまらず愛おしいです。
小港海岸に到着。何をするでもなく海を見つめます。
こんな綺麗な海岸がすぐそばにある朝は当分ないだろうなあ。本当に贅沢な時間だなあ。
あと半日しか居られない小笠原の空気を目一杯吸い込みます。
30分ほど潮風に当たってから帰還。
シャンティバンガローで見上げる空も青々としています。4日間の滞在で一番天気がいい日になりそうです。
クジラとイルカを見に二見港へ
宿の皆が続々と起きてきたところで、車で二見港に向かいます。
この日はホエール&イルカウォッチングと、父島の南にある南島に上陸するツアーに参加します。
ここまでの3日間、一度もツアーの類に参加していなかったのですが、半日で参加できるものがあったのと、せっかく最終日ということで、満を持して前日に予約していました。
二見港に到着。やはりめちゃめちゃいい天気です。
この船着場から出発します。ここだけ見ると日本っぽいというか、内地の港みたいですね。
人生初のホエール&イルカウォッチングへ
8:30、体調チェックや書面の同意を終えて海に旅立ちます。
お世話になったのはComeクルーズさん。オーナーは多くの島民の例に漏れず、小笠原の魅力に惚れて数十年前に移住してきたそうです。
軽快な語り口でホエールウォッチングの注意点や豆知識を教えてくれます。でかい潮吹きがあったら10分くらい潜るから他のポイントに移る、とか。
湾内を脱すると揺れが激しくなってきます。何かに捕まらないとまともに立てません。
一緒に乗っていた人も嘔吐を繰り返してダウンしました。このサイズの船に乗る時は酔い止め必須。対おがさわら丸用に買い込んだ分がここで真価を発揮しました。
しばらく船を走らせていると、遠巻きにクジラが見えてきました。船内に歓声が響き渡ります。
一匹見えた後は立て続けに姿を現しました。
この時期に小笠原に接近するのはザトウクジラで、出会える確率はかなり高いそうです。
南島の周辺を巡る
人生初の生クジラに感動を覚えた後は、南島に向かいます。
南島は小笠原観光の目玉の一つで、自然環境を保護するために1日の入島人数が決まっていたり、ライセンスを持っている人が同行しないとそもそも入島できない、といった風に、原始的な島の姿が今も守られている島です。
海岸には数千年前に絶滅したカタツムリの化石がどっさり残っているそうです。ワクワクしないわけがありません。
島に近づいて浅瀬に入ると、海の色も一層綺麗になってきます。
空から写真を撮ったら船が空に浮かんでいるように見えると思います。
さあいよいよ上陸だ!とテンションをあげていると、オーナーから「残念ながら今日は上陸できません」との宣言が。
なんでも、この日は波が強く、海岸に着岸できないのだそう。
なまじ手が届くところまで近づいてからの宣告に、しっかりと肩を落としました。
上陸代わりに島の周りを眺めます。
「これが南島最大のスポット 扇池ですよ〜。パンフレットとかでよく見る場所ですよ〜」
これがかの有名な扇池ですかー。内側から見てみたかったけど波が荒れてるならしょうがないっすねー。せめて穴から中の様子を覗いて、上陸した気分だけでも味わって…
人いません…?
明らかにツアー客…ですよね?
疑問に思ってオーナーを問いただしてみたところ、「今日の荒れ方は絶妙で、そこそこ大きな船なら上陸できる。あの人たちは我々より大きな船に乗っていたのだろう。」とのこと。
なんてことだ…船のサイズによって上陸可否の可能性が変わっていたとは…今更悔やんでも我々は小型船の上。いつの日か訪れるやもしれぬ小笠原再訪の日に、この経験を活かすことを誓いました。
イルカはクジラより近くで見られる
南島ショックを乗り越え、場所を変えてイルカウォッチングへ。
イルカはクジラより出現確率が高いそうなので、リラックスしながら登場を待ちます。(クジラの時はみんなそこそこ気を張って周囲を見ていた)
すると早速
ハシナガイルカが姿を現しました。
再び歓声に沸く船内。
その後は群れで出現。一番多い時は10匹くらい海面から姿を見せていました。
これだけの数が見られるのは運がいいそうで、もっと運がいいとイルカが船を先導して一緒に泳いだり、クルクル回りながらジャンプしたりするそうです。
あと、イルカは普通に浜から見えたりもするそうです。オーナーはサーフィンもやっていて、撮影した場所(入り江)のあたりでよく見かけるそうです。
イルカが運んだ幸運のおかげで、南島未到達のショックが相殺されました。
イルカウォッチングを一通り終えると、3時間のツアーが終了。二見港まで戻ります。
海上からおがさわら丸を見上げます。あと数時間でこれに乗って内地に帰るのかぁ。
島のマンホールには可愛いクジラがデザインされていました。最後に会えてよかったよ。
残された島での時間は3時間弱。港の周りをぶらぶらして過ごします。その様子はまた次回。
それでは今日はこの辺で。